坂本龍馬と酢屋嘉兵衛

酢屋嘉兵衛は享保6年より現在まで、創業280年つづく材木商でございます。
「酢屋」は材木業を営んだ店の屋号で、初代酢屋嘉兵衛より現代までこの地にて継承しております。
幕末、当時六代目嘉兵衛は材木業を営む傍ら、角倉家より大阪から伏見、そして京へと通ずる高瀬川の木材独占輸送権を得て、運送業をも掌握しておりました。当時、家の前の京劇は高瀬川の舟入で、高瀬舟が出入りしていました。岸には納屋が建ち、舟の荷あげをしていました。高瀬川の川ぞいには各藩の藩邸が建ち並び、各藩との折衝や伏見そして大阪との連絡にも格好の地であった為、龍馬は「酢屋」に身を寄せたのです。嘉兵衛は龍馬の活動に大変理解を示し、その活動の援助に力を注いでおりました。

龍馬は家の者から「才谷さん」と呼ばれ、二階の表西側の部屋に住まいしていました。(現在ギャラリー龍馬として使用しています)当時の面影を残す二階の品格子より龍馬は向いの舟入にむけてピストルの試し撃ちをしたということです。
遭難の年(慶応3年)の6月24日には、お姉さまに宛てた手紙の中で酢屋に投宿している旨を伝えております。又、この家に海援隊京都本部を置き、隊士、陸奥宗光、長岡謙吉、等数多くの志士が投宿していました。11月15日龍馬遭難直後の天満屋事件もこの二階の一室に隊士が集まり事件が起りました。維新後、陸奥宗光は「酢屋」の家を訪れる時、当時を思い、感慨にむせんだと言われています。

材木商
十代目 酢屋嘉兵衛

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